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信州行[日記] |
2020/06/07 |
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信州の上田、松本という二大都市を攻めてみよう! ということでまずは上田。
人口156,098人
上田地域の歴史は古く、大和時代には国造がこの地に派遣され、科野国(しなののくに)の政治・文化の中心地になっていたと思われます。 奈良時代には、国分寺、国分尼寺が建立されました。 鎌倉時代に入ると、幕府の信濃守護職、北条氏が塩田に居を構え、三代60年に渡り鎌倉の仏教文化を花咲かせました。この塩田平は『信州の鎌倉』といわれ、安楽寺の日本で唯一の八角三重塔(国宝)をはじめ、多くの歴史的建造物、史跡が残されています。 戦国時代、真田氏は武勇に優れた智将として全国にその名を轟かせ、日本の歴史の要所に影響を与えました。1583年に上田城を築いた真田昌幸は、徳川軍の侵攻を二度にわたって退けました。 さらに、その後の大坂冬の陣・夏の陣での真田幸村らの活躍は、今も城下町上田の誇りとして、市民の心に深く刻まれています。関ケ原の戦いに際しては親子兄弟が東西に分かれて戦いましたが、敗れたものの、昌幸と幸村はその名を天下に轟かせ、一方で幸村の兄信之は真田家を存続させ、松代移封後も真田氏は明治維新まで続きました。 真田氏は、約40年間上田の地を治めましたが、その後は、仙石氏(約84年間)、松平氏(約160年間)と城主が代わっています。(上田市HPより)
何をおいても『信州の鎌倉』塩田平でしょう。 安楽寺の国宝八角三重塔を拝見し、北向観音堂に詣でます。 北向観音とはまさに本堂が北を向いており、南向きの善光寺と対をなすと言われ、両方詣らねば片詣りとされています。
護符は20年くらい前、図々しくも「古い御札を蒐めているものです。なにか古いものがあったら見せて貰えないでしょうか?」と寺の方にお願いしたら、 よかったらこれどうぞ、そんなに古くはないけれど。と頂いたもの。
市内の顔なじみの骨董店二店に行き、双方で買い物も出来幸先いい出だし。
お昼は市民の人気を二分している一方の雄<福昌亭>にて上田市民熱愛の「焼きそば」を食します。 いつもは大変な混雑なのでしょうけれど、流石に並ばずに席につくことができましたよ。 そそるビジュアルについ大盛りを頼んでしまいましたが、キツイ。 餡掛けなのにアンが少ない!!
松本編につづく!
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