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印判愉し[日記] |
2018/05/01 |
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京都の大吉で印判展をやっている。 行きたかった(まだ会期中であるが、初日に、という意味で) おふだ専門店としては押さえておかねばならぬところ。
おふだや仏教版画の魅力は言うまでもなく、それが版であり複数制作が可能な点。 複数あるがは一点物より価値が劣るか?と聞かれるとそうでもない。 棟方志功も肉筆より版画の方がずっと高い。
版はたくさん擦れるから廉価だ、というのも一つの真理だし、 しかしそれでも、同じはずの版が人が擦るがゆえにひとつとして同じものがない、というアンビバレンツ。 古くからそこに(神の意思)を感じたのか、版画と宗教は切り離しがたいものになっている。と、わたくしは同じ動作を繰り返す摺印・捺印のことを捉えている。
この三段論法でゆけば、自然釉溢れる中世陶磁への『窯の火の神の贈り物〜』なんてのはちゃんちゃらおかしい。 (神の意思)アフルる印版こそ陶磁器の王である。
◎豆知識: 天台中興の祖・良源は元三大師とも、慈恵大師ともよばれ、 おふだに摺られてからは角大師、観音菩薩の化身として豆大師など様々な呼び名で庶民の生活に溶け込んでいるのだ (^^)/
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