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去年の今頃[日記] 2017/12/29

沼津にいます。
沼津で交換会・素乃會を開いております。

三津浜というちょっと入ったところなのですが、伊豆の入り口とは思えない程の美しさ。
海の水と景色が。

去年初めてこの地に来て、海原の先に見える富士に参加者一同感動して、同じ構図で写真を撮ったのを覚えています。
そして今年もまた。富士山は変わらず圧倒的であります。


昨年は沼津を出、東京に帰った途端に訃報が入り驚いたものでした。
二十五年の長きに渡り通っていた大塚『江戸一』の女将さんが亡くなってしまったのです。
名物女将で雑誌等にもとりあげられていたから逸話も多く、また事実その通りのひとで、わたくしを含めお客連中よく叱られておりました。
20代から通っていたこともありかなりワガママを通していました。
お小言が続くと、時には「うるさいババァ!」などと噛み付いてみたり、もう二度と来ないからな、と啖呵を切ってみたり…要するに甘えてたのですね。

そんな罵倒と謝罪を幾度も繰り返してゆく中、次第に東京の母として慕い、「おかあさん」の方も息子同様に接してくれるようになりました。
娘さん(若女将)夫婦の子供の玩具や洋服のお下がりがたくさん我が家に来たものです。


岩手の出で最初は酒屋だったといいます。
苦労されて『江戸一』を江戸前の居酒屋四天王とまで呼ばれるまでに仕上げたのです。

飲みすぎは元より、女性だけの入店も嫌い、女性のおしゃべりにも一言ありました。
飲まずに会社の愚痴ばかりを並べる背広組を追い出し、焼魚の食べ方が汚い、とやり直しをさせられたり。
それでいて、酒飲みの心根はわかっていたようで、ささくれだった心と共に暖簾をくぐる夜は、何も言わず黙って呑ませてくれるのでした。
もっとも徳利12本くらいが限界でしたけど。

クリスマスの夜がお別れの日でした。
柩も担がせてもらい、好きだった司牡丹を残されたもの達で盛大に空け、
あぁ、もう思い残す事はないでしょうか。

いえいえ一年経てばまた思い出すのです。
人の死というものは本当に不可思議なものです。
中野フクさん。
もう一度あのカウンターの端で笑い合いたいです。