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ビン数寄の極み[日記] |
2016/01/27 |
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ビン数寄、貧数寄。 いずれもかつての大名や明治の財閥出身者などの「正当な数寄者」に較べ、 戦後、骨董の世界に幅を利かせてきた文学者や学者など、金はないが口や筆が立つ面々を指し、評したのがこの語の始まり。 と、聞いております。 が、わたくしはそこに<執念>という言葉も入れたいと思っております。
月例の交換会でこれを見たときは、瀬戸の貧乏徳利か、と洟もひっかけない素振りだったと思います。 ところが傍らにある盃と、この二つが一緒に入れられるよう誂えた桐箱を見た時、何と言いましょうか、旧蔵者の執念というか、 下手な安物の瀬戸徳利ではあるがその最上のものを探すのだ、そして何かを(その何かは分かりません。権力や社会だったり実際の人物だったり) 見返してやるのだ!というような、繰り返しますが<執念>とでも呼ぶべきものを「ゾゾゾー」と感じ取ってしまったのでした。
仔細に見れば無いものです。 灰釉は驚くほどつややかで高台は土見せ。 ピンホールからは鉄分がでて鉄斑文になっています。 練上げ状に胎土も右上がりに積まれ、容量酒呑みにピタリ、二合五酌。 盃のほうも轆轤整形のあとピントチに乗せ高台内まで釉を掛けています。 雑器とは思えない作りよう。
どれほどの数の貧乏徳利を見たのでしょうか。 どれだけかかってこの取り合わせを完成させたのでしょうか。
こんなモノにそんな時間と手間をかけるなんて…。
競りへのスイッチが入った瞬間でした。
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