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四発目 多賀大社[日記] |
2015/08/27 |
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護符の専門店ですから(笑)、多賀大社の凄さが分かります。 近畿・東海・関東はもとより、東北からも此処、多賀大社の御札はたくさん出てきます。 画像にも多賀講総本部が写っていますが、往時からこの講は全国津々浦々にその手を広げていたのでしょうね。 中世では神仏習合下、社の実権は神宮寺である不動院が握っていたと言われます。 その不動院以下の寺院の平僧が、各地の<カスミ>を勧進帳と御札を持って廻り、寄進を受け信者を増やしていったのです。 多賀では特にこの平僧を坊人と呼んだそうです。
一度は来てみたかった神社。本殿は度重なる焼失で昭和五年の再建。 それでも桧皮葺で銅がふんだんに使われた立派なものです。
伊邪那岐・伊佐那美、ふた柱を主神としていますが、ヤマト政権に組み込まれる以前は、 鈴鹿山脈北端の霊仙岳を源とする芹川の上流、杉坂を本貫地とする芹川水系の水神として祀られてきた地方神だと考えられています。
黒駒に乗り宝剣を捧げ、宝冠を被った多賀明神の不思議さも魅力。 一遍の時宗とも関係が深かったのは、本地仏が平安の阿弥陀如来像であったためでもあるのでしょうか。
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