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水鳥考[日記] |
2013/04/01 |
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鳥形の水滴を買った。
先年、大先輩である瀬戸の古美術商紺屋田さんが出された『水滴 古瀬戸・美濃』という美しい本には、 中世の瀬戸産水滴は<鳥形>と<水注形>の二種類がある、とされている。 逆に言えば鎌倉時代のものはこの二種類しかなく、魚だ猿だとバリエーションに富んでくるのは瀬戸の陶工が美濃に移ったのち、桃山になってから、ということである。
しかし、なぜ数ある禽獣類のなかから<鳥>が最初に選ばれたのであろう。
埴輪でみると、ここでも、鳥形埴輪が家形埴輪と並んで形象埴輪のなかでは最も早く出現したとされている。 なぜ、古墳というシンボリックな場所で<鳥>が重きを占めているのだろうか。
そこで想い出されるのが、毎々の折口先生の説である。 『万葉集研究』には「鳥殊に水鳥は、霊魂の具象した姿だと信じた事もある。又其運搬者だとも考へられた。而も魂の一時の寓りとも思うて居た。」とある。 鳥は魂そのものでもあったし、魂を運ぶ存在でもあったし、魂の仮の宿でもあった、ということである。 また、「常にも水鳥を飼うて、此を見る事で、魂の安定をさせようとしたのだ。」とも云っておられる。
神社の鳥居はなぜ「鳥居」というのか? その答えによく使われる、「鳥がこの世とあの世を結ぶ役を担っているから」という説は、案外折口先生のこんなところからひっぱり出されたものかも知れない。(個人的にはこの鳥居説には全く賛同できないが)
つまりは、鳥、特に水鳥は特別な存在だったのだ。 ではなぜ、‐最初に戻って‐、鳥は特別だったのであろうか? それは特別だったから。 土中から出てくる古代の遺物や、万葉や記紀に残された記述から、鳥が特別な存在だったという事は判る。 が、それはなぜか? などということは最早わからないことなのだ。 特別であったのは、特別だったから。としか、言えない。
ひるがえって、今の我々は鳥たちとうまくいっているだろうか。 ラフカディオ・ハーンの『東の国から』にこんな場面が出てくる。 熊本に向って俥を走らせる八雲は、路に沿った電線の上に小鳥が一列に、同じ方向に顔を向け並んでいるのを訝しんで、車夫にこう尋ねる。
「おい車屋さん、―あの小鳥どもは、どうしていつもこっちばかり向いているのかね?」 車夫はいっそう速く走りながら答えた。 「鳥はみんな風のほうを向いてとまります」 わたしはまず、自分の愚かさを笑った。それから、子供のじぶんにどこかで同じことを聞かされていたのを思い出して、自分の忘れっぽさを笑った。
百年経った日本では、鳥の存在すら眼に入らぬ人がほとんどだろう。
街中の小鳥屋など、消えゆく一方。 伝書鳩を飼っているお宅など、今や都内にいかほど残っていることか。 野花の名は知っていても、野鳥の名をどれだけ挙げられるのであろうか。
特別な存在だったはずの鳥たちは、めっきり我々から遠ざかってしまった。 否、遠ざかったのは我々か。
水鳥の形代を掌に載せながら、久しく得られていない<魂の安定>を願う、…自分を笑う。
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