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拓本[日記] |
2012/05/22 |
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拓本を整理していたらいろいろ出てきました。
奈良朝の墓誌銘三種。 国宝 文祢麻呂墓誌 慶雲四年(707) 重文 美努岡万墓誌 天平二年(730) 重文 小治田安万呂墓碑 神亀六年(729)
金峯山の藤原道長鍍金経筒の銘文
法隆寺金銅灌頂幡二坪分 などなど。
拓本で怖いのは模作からの取拓。 印刷やコピーでない本拓であっても、模作からの拓本では価値がありません。
墓誌銘はまず大丈夫でしょう。 道長銘文も経筒の模作はなかったはず。 問題は灌頂幡。
東博の法隆寺館の中、階段横にはピカピカの模作が飾ってあります。 調べたところこれは1999年の作だそう。 拓本の紙質からいえば、12・3年前のものではありえないので、 ひとまずホッとする。
しかし、そのうち古い図録から大正15年に香取秀真が模作を作っているのが分かってしまった。 大正期なら、紙や一緒に出た他の拓本の感じも時代的にドンピシャ! あぁ〜
東博に相談に行くと詳細画像がHPにアップされているとのこと。 目を皿のようにしてつき合わせると、2坪と5坪(灌頂幡一枚を坪と呼ぶそうです)の 割れたところや、表面のアレ、イレギュラーな鋲の位置など、模作ではやらなそうなところまでがぴたりと一致。
線彫りの顔の表情も飛鳥の貌です。
自分の中では大丈夫!と結論付けました。
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