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10ヶ月の猶予[日記] |
2012/01/14 |
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私に似て運動の苦手なふたりの息子には、 下手でもいいからひとつのスポーツを長く続ける事と、 若年時の勉学の必要性を常々伝えています。
勉強を嫌がったときのお決まりのセリフ、「何故勉強が必要なの?」 という問いには、 今歩いている道が必ず二手に分かれる時がくる。そのときどちらに行けばいいか決断できるように勉強するんだよ。 と答えていたのでした。
しかるに―。
震災から10ヶ月。 私は右・左どちらの道にも進めず分かれ道で立ち竦んでいます。
子供達にカッコいい、解ったような事を言っていたのに、分っていないのは私の方でした。 道は右・左の二つではなかった。 その場で足踏みし、どちらへも行かない(行けない)、 というもうひとつの選択肢もあったのです。
いま私は岐路に立っていることをひしひしと、ある種の怖さとともに感じています。 右か左か。足を踏み出さなければいけないのに怖くて進めない。 10ヶ月のモラトリアムがあったのに何ひとつ自分で問題を解決していない。 すべて棚にあがったまま。
勉強してこなかったツケでしょうか。 考えてる、行動しているふりをしているだけ。
そんな自分が恥ずかしいです。 でも掛け声だけの原発反対や震災復興などもっと恥ずかしい。
やるなら本気でやらないと。
しかし、そうなったら商売にも影響が出るでしょう。 小さな店すら維持できなくなってくるかもしれません。 ネット上でまた叩かれもするでしょう。
それらの事態は考えるだに恐ろしい。 勇気がなかなか湧かないです。
それでも聞こえてくる内なる声は日増しに大きくなってくるような…。
私たち40歳代の男は力(チカラ)はあると思います。 社会を形成している、経済を引っ張っているそんな自負のある方も多いと思います。 でも、みな臆病だ。 私も含めて。
さて、どうしよう。 自分にできるのだろうか
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