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浮嶽神社の『神像』[日記] 2014/09/14

唐津から博多への途中、糸島市にある神社。
裏山からの流れが本殿のまわりにも入り込み、まるで浮嶋のようなので、『浮嶽神社』かと思ったらそうでもないらしい。
その山自体が霊峰<浮岳>なのだとか。

神仏混淆の神社内、神宮寺としてあった久安寺(きゅうあじ)は、
かつては属寺十房を持つ規模だったそう。
拝ませてもらった平安初期のこの仏像群もその時のもの、
と、案内板には書かれていた。

重文指定用のこのコンクリの所蔵庫には藤原の仏像も一緒に安置されていたのだが、
皆、目もくれず。(罰当たり!)
この一木造りの大きな三体に釘づけられていた。

仏像と云いながらも、特に地蔵菩薩は、ほぼ神像。
仏像のように畏怖させるのではなく、そっと側に寄り添ってくれて、
「見えないけれど居るんだよ」(Cみすず)といった感。

この頃は、ますます仏像に興味を感じられず。
この後に行った太宰府観世音寺の丈六十一面観音さまも、
大きさには驚かされるが、心ときめかず。

<見せないのに造る>神像の、生まれた時から孕み持つその<矛盾>が、
どうにも私を離さない。

死ぬために生きる。愛するため憎む。翌日苦しくなるため呑む…。

<矛盾>の構造は歳を経ないと分からぬ。
それもまた<矛盾>である。